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久しぶりの更新になりました。

岡崎店 芦田です
昨日、アメリカのドキュメント番組を見ました。
大手レストランを経営する社長が
自社の問題点を解明するために現場に行き
1週間潜入捜査すると言うものでした。
新人スタッフとして潜入した社長は
潜入先で様々な問題点があることに気づきます。
そのレストランは女性ウェイターを売りにしている店なんですが
男性マネージャーの女性に対する差別があったり
逆に女性マネージャーの店では
労働時間の圧迫で子供との時間が作れなかったり。
ソースを作っている工場では
工場で働いてる職員が
現社長(=潜入している自分自身)のことは知らず
前社長(現社長の父)の偉大さを語り、社長自身が変化することに気づかされます。
上に立つ人間には物事を判断するスピードを問われることが多いと思いますが、
時に立ち止まり現状を把握することも必要であると感じました。


 大文字の送り火に被災地の薪が使われなかったこと、
使わないことを決めた京都の機関のことを本当に残念に思います。
大学では社会学を専攻していたので、
地域学といった地域に根強い文化、風習というものも学びました。
京都は文化も長く
「お茶でもどうぞ」と口では言うものの本音は違うといった
本音と建前の文化が根強い地域であるといえます。
私自身、京都女なので、そういった本音と建前の感覚は生まれながら
引き継いでいるものがあるように感じます。
京都市役所には「なぜ薪を使わなかったのか」という電話が多い中
「放射能の危険性を考えれば、使わないという決定は正しい」
といった意見もあったと報道されていました。
使われないと決まった薪は被災地で燃やされ送り火としての役目を果たしました。
薪には結局、放射能は検出されませんでした。
被災地の方が
「京都の方で送り火として使って頂けたら・・・」
と涙ながらに仰っていました。
あやの小路では被災地の方々に少しでもお役に立てるようにと
義捐金や福島の会津木綿を使った商品を販売させて頂いております。
少しずつといった気持ちが
「大文字の送り火」といった昔ながらの風習が被災地の薪を使わないと決めたことで
消えてしまう気がして残念でならないです。
古くからの伝統はもちろん大切にしていくべきです。
しかし、そこには感情がつきものであることを理解していくことがより重要であると感じました。

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